修養
おはようございます。
プロ家庭教師プロ・プラネット広報&SEO担当の畠山です。
かって”孔子”は、修養の段階として、年代別の言葉を用意していました。
曰く……
吾十有五にして学に志し (志学 しがく)
三十にして立つ (而立 じりつ)
四十にして惑はず (不惑 ふわく)
五十にして天命を知る (知命 ちめい)
六十にして耳順ひ (耳順 じじゅん)
七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず (従心 じゅうしん)
確かに、単に「学問」や「勉強」と言う事だけでなく、人生における一つの行動の指針であると言う部分は
現代においても、十分に通用しそうな所ではあります。
「30」にして、先輩の指導などを離れて一人前に判断や行動が出来るようになったり…
「40」にして、自分の生き方や方向性も定まってくる…
「50」にして、自分が社会に対してどうあるべきか? 何をすべきかと言う事も分かってくる…
等々……
今から2500年前の事ですが……それは、時を超えて、今でも全然色褪せていない所に、この区分の凄さがあるような気がします。
本日の Daily Planet は「古典についてのお約束」です。
ご興味のある方はご一読ください。